人間はとても悲しい
どんなに幸せでも
最後は消えてなくなる事を知っている
人間はとても幸せだ
たとえ失うの分かっていても
この瞬間は自分のもの
誰もそれを奪う事は出来ない
幸せを追い求める人生
皆さんは幸せに包まれ、
心躍る想いを経験したこと
ありますよね
それとも、その幸せを今まさに、感じているでしょうか
人は幸せになるために生まれてきたのです
幸せを追い求めるのは人間の本能です
ルーブル美術展 愛を描く
六本木の『国立新美術館』での特別展
『ルーブル美術館展 愛を描く』
が開催されております
古典絵画を中心に、選りすぐりの絵画を集めた、
素晴らしい特別展です
以前にも作品を紹介させていただきました
もしご機会があったら、是非足を運んでいただければと思います
サッソフェッラート作『眠る幼子イエス』
『愛』をテーマにした今回の特別展
その中でも特に多くの鑑賞者を集めていた作品です
この絵を見た瞬間に誰でも感じる事が出来ます
『母の無償の愛』
赤ちゃんを愛する気持ち、その喜びが伝わってきます
赤ちゃんの眠りを妨げないように、
静かな時間の中でかみしめていることが存分に感じられます
こちらの心までが温かくなる作品です
ですが、なぜか一抹の不安も同時に感じませんか?
それはなぜなのでしょうか
イル・サッソフェッラート
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典よりイル・サッソフェッラート - Wikipedia
イタリアの巨匠です
『祈る聖母』『悲しみの聖母』で有名な作者です
皆さんも御覧になったことがあるのではないでしょうか
美しい聖母マリアです
ですが、有名なラファエロの『小椅子の聖母子』などの作品とは、雰囲気がずいぶん違います
聖母子を見守る『天使』たちも顔に暗い影がかかり、
天使達の表情からも、幸せを感じているようには見えません
この絵からは矛盾した二つの感情があります
静かな時の中に『喜び』と『悲しみ』が同時にあることが分かります
悲劇の結末が待つ未来
ミケランジェロの『ピエタ』です
聖母マリアが十字架から降ろされた主イエスを抱きかかえている場面です
主イエスはこの後で復活するのですが、
場面としては主イエスの『死』です
言うならば、『永遠の眠り』についたところです
『眠る幼子イエス』
『ピエタ』
この二つの構図は全く同じです
サッソフェッラートは1640年代にローマに移り住んでます
きっとミケランジェロの『ピエタ』を見たことでしょう
彼はそれをどう感じたでしょうか?
たとえ未来の悲劇を知っていても
未来の悲しい結末を我々は知っています
『聖母子』を見つめる天使達の『想い』は我々の想いと同じです
では、聖母マリアはそんな未来を知らずに喜びをかみしめているのでしょうか?
聖母マリアはすべてを理解している
わが子が自身を傷つける愚かな罪深き人間たちのために祈り、
そしてその身を捧げる
自分の目の前で十字架にかけられ、わが子が命を落とす
そしてその亡骸を抱く自分がそこにいる
聖母マリアを見つめる天使は、
その心が見えるのかもしれません
では、聖母マリア本人はそれを思って不幸なのでしょうか
今、この瞬間、
『わが子を抱きしめた聖母マリアの想いは』
皆さんはどう思いますか?
人間はとても悲しい
どんなに幸せでも
最後は消えてなくなる事を知っている
人間はとても幸せだ
たとえ失うの分かっていても
この瞬間は自分のもの
誰もそれを奪う事は出来ない
最後までお読みいただきありがとうございます
こころが変われば世界が変わる
人生のこの瞬間に感謝を
コメント