鋼の意志を持てる理由

芸術

人生への覚悟は古き時代の人々に到底かなわない

今生最後の仕事と思って取り組んでいるのだから

この世に生まれ落ちて

あなたは満ち足りた生活を送っているでしょうか?

もし満ち足りているなら次の人生のステージが待っています

自己実現という自分の生きた証を残したくなります

たたら製鉄

小田原に旅行する機会がありました

小田原城に足をのばすと天守閣で『小田原ゆかりの刀剣』特別展が開催されていました

実用ではなく褒美で下賜されたであろう素晴らしい刀剣の出来は素晴らしい物でした

それを見て、大学時代のうろ覚えですが『たたら製鉄』の実録を思い出しました

詳細をお知りになりたい方はウィキペディアを御覧ください

たたら製鉄

たたら製鉄 - Wikipedia
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典

熱く語りたいのですが長くなるので、人の想いを中心にまとめたいと思います

すべてが理にかなってる奇跡

日本刀の原料である玉鋼(たまはがね)

これなくして作ることが出来ません

作る全体の流れをザックリと説明します

  1. 仕事は湿度が低い冬。ほかの季節は準備のために過ごします。やることは、
    • 最高の材料を集める。
    • 毎日神仏に祈りを捧げ、三日三晩一睡もしないでやり通せる強靭な肉体へと自身を鍛え上げる
  2. 炉は毎回新しい物を作りそして壊す。そのたびに土の質やサイズの改善改良を加える
  3. 仕事は男性のみ。女性差別ではなく五感が一定であることの優位性
  4. 最高の鋼は溶けないが不純物は溶けて流れ出させる炉内温度の管理

経験と観測だけでやり遂げる

人類は浮力の原理を解明する前から船を作り、

風が起こる原理も分からないまま帆で船を操り、

波が起こる原理も理解しないまま堤防を築き上げた。

人類は古来より未知を未知のまま扱う能力を持っている。

そしてそれは、最も原始的で論理的な行為の積み重ねによって産み出される

『観測』だよ

ソリテール談「葬送のフリーレン」「第97話観測」より

これほどしっくりくる説明がなかったので引用させていただきました。

太古の人々は偶然の発見がまずあり、それを再現すべく何度も繰り返したのでしょう

そして原理を理解せずに最上の結果を得る

その奇跡は神に代表される絶対者への畏敬の念からの真剣さです

理論よりも仲間全員のイメージの共有

彼らの改善の中に苦労や手間を減らすという発想がありません

なぜでしょう?

それは玉鋼(本当はケラといいます)が神の息吹を受けた新たな生命の誕生と考えているからです

古代、出産は命がけでした

お分かりのように炉を母体と見立てています

そのイメージと今までの経験、観測で土を選び、炉のサイズを測りました

奇跡の温度管理

三日三晩、寝ずの晩で炉の温度を保ちます

温度は風で空気を吹き込んで変化させます

炉の中で砂鉄は溶けて不純物は流れるように

玉鋼は純度を高めて炉の中で育っていきます

それはあたかも母体で赤ちゃんが育つように

さて、また質問です

その温度、どうやって測ったのでしょうか?

温度計なんてありません

答えは、

炉から見える炎の色です

玉鋼が残り、不純物が流れる温度

ただしこれも一定ではありません

なぜなら砂鉄の質に違いがあるからです

玉鋼が飴のような柔らかさを保ち炉ですくすくと育つ温度は毎回違うのです

さて、その微妙なベストの温度をどうやって測ったのか?

なんと音です!砂鉄がはじけるときの微妙な音の高低を聞き分けて

これを三日三晩、最後まで全員一致、不眠不休でやり遂げるのです

リーダーは絶対に引退する時が来る

これらすべてをまとめ上げるリーダーを村下(むらげ)と呼びます

土を選び、炉を作り、温度を五感で感じとる

経験と観測の集大成、死ぬまで現役を続けることが最良なはずです

しかし、村下はまだまだ気力体力十分な時で引退しなければならなかったのです

なぜでしょうか?

それは

炎を休むことなく見つめ続けるために目が失明してしまうからです

失明して生活に支障はないのか?

片方の目は使わないので残ってます大丈夫です

でも想像してください

村下になるという事は、近い将来、絶対に失明すると分かって取り組んでいるのです

失明して引退すると分かっていて、体を鍛え、最高の材料を求めて山や川を探り続けるのです

自分の欲得だけでは絶対に無理です

彼らにそれをさせるだけの決意と覚悟はどれほどだったでしょうか

これが最後の仕事という覚悟

もう一つ古代と現代では大きな意識の差があります

それは死があまりにも身近でした

来年は、次の季節は、来月は、明日は、元気でいる保証などないと魂が自覚してました

それが、今、目の前の仕事が常に最後であるという覚悟につながりました

現代に生きる我々は彼らの想いを理解できます

ですがそれも、あくまで想像でしかありません

自身の死が遠く希薄な現代人は彼らの領域まで行けるのでしょうか?

「人生への覚悟は古き時代の人々に到底かなわない

今生最後の仕事と思って取り組んでいるのだから」

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます

こころが変われば世界が変わる

人生のこの瞬間に感謝を

コメント

タイトルとURLをコピーしました